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契約会では、今回の震災で住む場所を失った方々に、所有している山の一部を譲渡することを考えています。RQ市民災害救援センターの歌津センターも、契約会が貸した土地です。その、ちょうど向かいの平らな山の、10町歩ほどの土地の譲渡も準備が進んでいます。来年の秋ごろには整備が始まるのではないでしょうか。
じつは震災翌日、契約会現会長の千葉正海さんに会いに避難所から出かけていったんです。朝5時ごろでしたが、いませんでした。7時ごろになって、ようやく歌津中学校で会うことができました。
大将(千葉さん)は震災直後、動力船で海へ逃げたんです。津波が来ると分かっていたから。大将は震災の前から、「もし大地震が来たら、俺は船で沖へ逃げる、お前たちはどこそこへ逃げろ」と、家族でマニュアルのようなものを用意していたんです。だから、千葉さんは沖へ出て、そこで一晩泊まって次の朝に陸に戻ってきたんです。
私は千葉さんに、「会長、もうだめだ。伊里前の町は住めない。契約山は全部ただで、みんなにやっぺ」と言いました。千葉さんも、「77世帯分、整地して、もし土地が100でも150でも余ったなら、それは、みんなにやっぺや」と言いました。そこで初めて、契約会の土地譲渡の話が浮上したんです。
大きな事業は町が主体になるだろうからと、その1週間くらい後には会長や副会長が役場に行って、土地の譲渡の提案を行いました。役場に話を通しておけば、あとで勝手にやったと文句を言われることもないと思ったのです。「契約会に入っていない人にも土地ができるわけだから、よろしくお願いしますよ」と、きちんと仁義を切ってきた。
ちなみに、千葉さんは息子が結婚したので、本来なら、もう引退の時期なんです。だけど、今回の震災で大きな事業が動き出したので、来年まで引退はできないと言っていました。
千葉さんは、高台に移転したら、この伊里前の町をちゃんと引き継ごうと言っていたんです。上町切とか下町切とか横橋といった屋号も残して、昔はこういう町だったんだと分かるようにしたいと。そのあと、どうしていくかは分かりませんが、何しろ320年も続いてきた町ですから。私も、最初に町割りをした家の子孫だからとか、そんな意識はないけれど、やはりそうしたいと思います。写真だって、昔のものは全部とってありますから。
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