昭和40(1965)年ごろからは、毎年、東京などに出稼ぎに行くようになりました。娘の生まれた頃です。4月頃からだいたい10月、アワビの開口の頃までいて、開口に間に合うように帰ってくるんです。4月から半年は確かに長いです。 […]
「もらい湯」(被災地支援のボランティアに自宅のお風呂を使わせていただくこと)を始めたきっかけは、何人かの人には話したんですが、親戚が南三陸にいるし、まだ見つからない人もいるんです。それにやっぱり南三陸は隣町だし、なんかや […]
牛は2頭飼っていました。うちは肥育といって食肉牛、メスの黒毛和牛です。これは、仔は産ませませんから、仔牛は馬喰(ばくろう。馬や牛専門に売り買いする人)さんから買うんです。当時は、農協も牛の売買はやっていませんでしたからね […]
農学寮を卒業してからは、家の手伝いを始めました。私を待っていたのは養蚕と和牛です。私のいちばんの青春時代なわけですが、毎日5時起床の生活ですよ。帰ってくるのも夕方5時。養蚕も、春、夏、秋、晩秋と4回取るので、なかなか忙し […]
避難してきて2カ月くらいの頃に、ハサミと櫛をいただいて、その時はひまわりおじさんのシャワー小屋を一つ借りて、みなさんの床屋をやりました。外では風が強くてできないの。「やってちょうだい」って言われて、やってみたんだけど無理 […]
私が中学生の頃は、稲作も機械を使わずにやっていました。1反くらいの田んぼで田植えとなると、まず、牛にバコ(鋤すき)を牽かせて、土を返して田を起こします。 次に、田んぼに水をはって、牛に鉄の馬鍬(まぐわ)を縦横に2回か3回 […]
今は仮設住宅に入っています。5月の17日に鍵をいただきました。15日くらいに「入れるようになった」って電話があって、みんなに「あんたたちばかりズルいよねー」とか言われながら2日間過ごして、17日に母が説明を聞きに行ったら […]
私の妹は歌津に嫁いでいて、なんとも無かったんです。それで、妹の家からバッテリーだ、車だ、って借りてきて、下の避難所に貸していました。それに、ウチは歌津のお客さんが多かったから、いろいろな情報が入ってくるんです。聞くと、歌 […]
まさか家が流されるなんて、思ってもみません。赤崎の方に1回目、2回目と津波が来て、3回目の津波と言うんでしょうか、その次の波が町まで入ってきて、その波で、ウチの脇の物置に入れてバイクとかがスポーンと出たんです。おばあちゃ […]
その日は12時までお店で仕事をして、床屋ですね、マツモの開口だったので、1時〜2時は海にいました。開口の日にどこで採るか!? 場所は自分たちで決めるから、12時ギリギリまでお客さんをやって、海へ行って場所を探して、サイレ […]
高校は、気仙沼の響(ひびき)高校です。 響高校 正式名称:宮城県本吉響高等学校 (沿革)昭和21年 – 宮城県津谷農林学校として創立 昭和23年 – 宮城県立に移管、宮城県津谷農林高等学校 […]
タコはだいたい、アワビの開口終わった頃に網や籠で獲るんです。アワビは11月からです。だいたい年に5回か6回ぐらい開口するんです。それも天候見ながらですから、天候が悪ければその年は4回のこともあるんです。逆に天候が良ければ […]