東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト

伊里前の市

伊里前では、盆と正月は市の立つ順番と日にちが決まっていたんです。夏は8月の10日が志津川、11日が伊里前、12日が津谷、最後は気仙沼となってました。市の立つ日の朝なんてのは、買い物に行くのに3時ごろから起こされたんです。 […]

3.11被災

3月11日は志津川の高野会館の3階で、老人クラブの演芸会があったんで、それを見に行ったんですよ。ちょうどもう終わる頃に地震が来たんで、会館の職員がね、「津波来るから、どこさも逃げてはダメ、出てはダメだ」っていうわけです。 […]

子ども時代

幼少期はどんなって、家は商売してたから、食べるものも不自由しなかったし、山から、海から、毎日遊んでばかりおったんです。竹馬で山駆け回ったり、海駆け回ったりしてね。今でもね、運動会なんかで、竹馬に乗って駆けて見せたりすると […]

潜水漁

潜水の資格を取り、船を持ってからは、漁が半分、潜水半分でした。歌津では当時潜水をする人はいなくて私が初めてでしたから、獲り放題です。海に潜れば、もう大量に獲れるからね・・。漁協の付き合いの関係で、夏場はウニを獲りました。 […]

伊里前の獅子舞

祭りの前には、必ず田束山に登ります。神様をお迎えに行くんですね。祭り前日の午後には神社に行って、神輿の担ぎ手は神官に祈祷をしてもらい、神輿に魂を入れてもらう。そして、翌日、祭りの1日目の午後には神輿を出して、45号線をず […]

造船

お次は船です。漁協に監視船のような小さい船があって、せっかく作ったのに引き上げていて使わないので、「おれに、貸せや」って借りてみたら、使っていない船だったので、エンジンが壊れていて使い物にならなかった。「しょうがねぇなぁ […]

伊里前の祭り

地域の祭りは芸能部の役割です。昔は契約会だけで行っていました。太鼓も契約会の子どもしか叩けなかったんですが、だんだん子どもも少なくなったので、いまは伊里前の子どもなら誰でも叩けるようになりました。最近は祭りの運営も子ども […]

一歩・一畝・一町歩・一反歩

一歩 = 1坪         = 約3.3平方メートル 一畝 = 30歩 = 30坪     = 約99平方メートル(約1アール) 一反歩 = 300歩 = […]

伊里前契約会山林部

契約会では冠婚葬祭のほかに、植林や刈掃い(かりはらい)など山の管理をする山林部があります。契約会の山は40町歩くらいあって、会の帳簿上では40人共同の財産になっています。昔、みんなで話をして、あの山も、この山も、契約会の […]

伊里前契約会と土葬

土葬が行われていた頃は、会員が亡くなると会員たちで埋葬のための穴を掘ったものです。そうすると、ご遺族が「これで飲んでください」と1万円ぐらいくださるわけです。そのお金を使って、弔いの酒席をつくる。そうやって交流の場を増や […]

昭和40年代の漁業

昭和40年代は漁業の色々が変わった時で、大きく変わったのは、その船舶免許と漁業権の2つですね。色々変わるとかっていうのも、漁師ばかりの付き合いじゃ、わからないんです。参事さんや、知り合いから、様々な情報が入ってくるんです […]

伊里前契約会の役割

契約会の役職は、会長、副会長、会計の3つで、普通は会計、副会長と経験を積んでから会長になるわけですが、私は特例で、いきなり会長を務めました。会長といっても、契約会の結束力がありますから大きな権力があるわけではありません。 […]

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