その頃はお米が無いでしょ? こっちではお米が無い。あっちは米処だからお米はある。だから、お魚とお米を物々交換です。 ところが当時はお米を持っているのがお巡りさんに見つかると捕まったんです。帰り道でお巡りさんに会うと困るか […]
ワカメの養殖をやっているうちに、今度はここをずっと埋め立てをして、加工屋さんを集めて加工団地にしようっていう話が出ました。それだったらいいなって、「いいよ、いいよ」って申し込んだんですが、途中で計画がストップしてしまった […]
私の父、お父ちゃんは魚屋さんでした。大谷には「大網(マグロ・イワシ・サバなどの回遊魚を捕らえる目的で、あらかじめ海中に建て込んでおく定置網に近い仕掛け網。入りくんだ岩礁地帯が続き、海藻類が多い本吉地方沿岸では盛んに行われ […]
30歳位から、方向転換して、ワカメの養殖を始めました。私は中学の時に母親を亡くしているので、家には女手がなくて、おじいさんは2人いたんだけど、おばあさんがいないから、籠に子どもを入れて子守をしながら家内は仕事をしていまし […]
魚竜舞の準備金として、県からは何千万円もの支援がありました。それを使って、さっそく歌津の若者を中心に、役場の職員や一般の方も入れて練習が始まりました。その時のリーダーが、今回の地震直後に防災センターでマイクを握り、住民に […]
ここはね、ウニもたくさん獲れます。いっぱいとれるから、むき身で出荷するくらい。歌津は全部剥いて塩ウニですね。水揚げの少ない所は、とげ付のまま出荷します。 実は、歌津で一番獲れたのは、アワビなんです。目方に換算して、年10 […]
私が町長になる少し前の話です。親しくしていた仙台の東北放送の子会社(TBC開発)のAさんに呼び出されて、海外向けの観光PRのビデオを作りたいから協力してくれと言われたことがあります。 彼は、当時「わが町ど真ん中」という番 […]
人が亡くなると、朝から買い物と称して座りこんで必要なものを買っていくんです。小さい時からそれを入れる箱を作ったんだけど、一式、木地蔵、(死出の旅に出る)わらじ、「死人(しびと)もの」と言って、亡くなった人が着る衣装のさら […]
歌津と志津川との合併は対等合併で進めようということで、合併協議会の会長に志津川の町長、副会長は私という体制で進めました。 平成17(2005)年10月1日、歌津と志津川は正式に合併して南三陸町が誕生し、私は、その前の月、 […]
昭和35(1961)年のチリ地震津波のときは、家にいなかったんで、経験していないんです。その時は用事があって、おっかあの実家の岩手の東山に行ってたんですね。家は大丈夫でしたよ。海面から家までの間が高さ3メートルぐらいあっ […]
家は百貨店みたいなものをやってたから、余裕があったんですね、兄弟みんな、学校にいれてもらいましたから。何でも売ってた。うちの親父、及川清吉が明治ごろ創業したんです。親父はここ歌津の出身で、石巻の呉服屋あたりに修行に行って […]
平成11(1999)年には、イタリアのベザーノ(Besano)という町と友好町になりました。この町はスイスの国境付近にある町で、歌津と同じ魚竜化石の町。歌津では2億4千200万年前の魚竜化石が出土しているんです。ベザーノ […]