子供のころの遊び道具? 花だね。 この辺りは、実がなるんですよ。んーと、何て言う名前だったかな。そいつをちょっとこう折って、カランカランって鳴らしたり。 あとね、山に行って、何かわかんないんだけど、こんぐらいの花なんだけ […]
私は、本吉町の国際交流事業にも関わっているんです。「本吉町国際交流協会」は、平成3(1991)年に組織されて、今も続いているんですけどね、国際交流ですから、特定の国だけでなく、どこの国でも交流していきます。 私の考えでは […]
この八幡神社の祭典のときには、いろいろなお祭りの道具がありますが、八幡神社に置いておくと人があまり出入りしないので、盗難などの危険があるんです。ですから、神輿のいろんな飾りも全部外して、獅子頭ですとか、天狗のお面だとか、 […]
野球だってグローブもバットもない時代です。お金持ちの家にはありましたよ。 スケートだって下駄スケートです。下駄の歯をとって鎹(かすがい)をやすりで研いて、それを下駄に打ちつけて下駄を履いてスケートしたんです。同級生で靴の […]
3月11日2時46分、あのときから、津波のことは、ずっと脳裏に刻まれてるんですよ。 私の家はちょっと高いところにあったんで、「津波が来たって家までは来ないから大丈夫だ」ってことで、安心してたんですよ。 地震が起きて、妻は […]
志津川小学校から、志津川中、宮城農学寮(農業の専門学校)へと進学しましたが、農学寮は全寮制の2年制、1学年120名の学校でした。農学寮時代は軍隊上がりの寮長がいて、1年目はもう、スパルタですよ。来年上級生になったら下級生 […]
小泉から見える海抜512メートルの田束山(たつがねさん)という山は、藤原氏の住んだ平泉の衣川、源義経の家来の弁慶が立ち往生した、あの衣川ですけど、その向かいにある山と非常に似ている山だそうですね。それで、藤原氏が伽藍(注 […]
ところが今度の津波は正直言って、まったくの想定外。このへんはいわゆる断層がないもんで、「直下型の地震はない、仮に直下型の地震が起きても、はるか100キロか200キロの沖あいに起きるのだ、だから、この辺がつぶれる心配はない […]
チリ地震(昭和35年、1960年)で津波が来たときも、町の中心あたりでも床下浸水が少しあったくらいでした。だから、「ここは津波など来ても大丈夫」って思っていたんです。そのまえにも、十勝沖地震か、2メートルくらいしか来なか […]
この避難所となっている家は、平成22(2010)年の8月に建設したものです。その年の2月28日に起きたチリ津波のときに、歌津でも初めて大津波警報が出ました。そのとき、また大きな津波が来ると直感的に思ったんです。大津波警報 […]
この八幡神社はヨダワケノミコトをお祀りした神社で、天文12(1584)年に建立されました。桃山時代ですね。当時小泉地区には小泉城があって、殿様の三条小太夫近春(さんじょうこだゆうちかはる)が中舘平五郎信常(なかだてへいご […]
戦国時代には、歌津町のなかでも戦いがあったんです。魚竜化石のある館崎、あそこには昔、館城(たてじょう)という城があって、それと牧野家が戦って、勝ったらしいんです。そして、その勝利の日を三嶋神社のご縁日にしたのだそうです。 […]