伊里前は元禄6年に新しい町割りをしてできた町なんです。伊達政宗が領地を62万石もらって、新しく領地になった街道、道路を通して、馬で年貢を運ぶんです。 ところが、仙台の小野から陸前高田までの東浜街道にある、陸前高田、気仙沼 […]
高校を卒業して、青年団活動に打ち込み、地域の活動を一生懸命行なっていましたが、そんな中、昭和43年(1968年)、26歳の時、地域での活動が認められて、総理府派遣で海外に行けることになりました。背景には、明治百年記念で、 […]
歌津に居る人は、みんな侍の子孫だから、融通の利かないところもあるけれと、良い人間だと、いまでも思ってますよ! 頼朝に従って藤原征伐にきて、領地を貰って百姓しながら、「いざ鎌倉」に備えたっていう家の子孫ですからね。当時の有 […]
今度の津波のときも、昭和8(1933)年のとき助かったように、柳沢の奥のほうに逃げて行けばいいと思って、手押し車持って行ったのよ。それで足も冷たいし、中に入り込んだの。 その時孫が、金曜日で、遊びさ行ってきたばかりでね、 […]
中学を卒業したら、とにかく東京に行きたかった。千葉の房総半島に農業学校があり、進学を口実に親に話をしましたが、父親に反対されました。それで津谷高校(今の宮城県本吉響高等学校)の農業科に進学をしました。 三銃士のかんちゃん […]
田束山に経塚遺跡というのがあってね、それを見つけてほっくり返したら、無断でやってしまったので、県からしこたま怒られてしまいました。多賀城の歴史資料館の館長が来て、掘ったものを、ガーゼに包んで持ちかえったあと、「お前たちは […]
浜松に出てきて、お米は気仙沼のほうがいいと思いました。浜松は、仕出しで出してくれる麦ご飯で、味つけが薄いのが(慣れなくて)大変だったです。浜松の納豆が地元と違って、ウサギの糞みたいでびっくりしました。味も塩辛し。うなぎは […]
ここではね、明治29(1897)年にも、津波があったんです(明治29年津波)。みんな家を海の近くに建てたんだって。海さ行くのに便利だからね。堤防も何もなくて、ポンと行けば、磯まですぐ出られるところなの。言い換えると、すぐ […]
お正月に口に入るごちそうは、みんなこの辺りでとれたものです。お雑煮を作って、あんこ餅を作って、クルミをつぶして。クルミは金槌で叩いて割るんです。それでお雑煮には、(お雑煮の具に欠かせない)「お引き菜」と言って、中身は大根 […]
子どもの頃のおやつといえば、豆もちもうまかった。いっちゃん、かんちゃんと3人でかくれんぼして、かんちゃんがオニになっちゃって、「まーだだよ」って言っている間に、ふたりで「食ってしまおう!」って・・。食べてるところを見つか […]
ここらへんのお正月の風習は、伝統的なものがありましたね。 まず暮れになると、お家を綺麗にして、神棚を掃除して、糊を焚いて、真っ黒になった格子もきれいにします。夜になると親が障子紙を張るので、昼間のうちに子供たちで準備して […]
小学校のころは給食がなくて、お弁当を持っていったのですが、家は田んぼと畑と海があるでしょう。そういう志津川の生活ですから、親は大変だったと思うけれど、子供はあんまりひもじいとか、大変とかいうことはなかったですね。 ただあ […]