東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト

神棚

見習い修行から志津川に戻って以後、いろいろな大工の人たちと関わるようになりました。何年もしないうち、25~30歳くらいの頃だったと思いますが、宮大工の方と関わるようになりました。 上山八幡宮(かみのやまはちまんぐう)や大 […]

農家の四季

3月になったら畑の仕事が始まります。麦のあとのかさを取ったりします。麦蒔くのは、9月から10月ですが、翌年の3月頃、雑草を取ったり、麦踏みしたり、手入れをしたんです。 麦踏みというのは、冬に土が凍って、春になると溶けて、 […]

指物大工

親父には弟子がいましたんで、一人前になった大工2人くらいに来て貰って家を一緒に建てるんですね。志津川には、「指物大工」と言って細かい仕事をする大工がいて、押入れ下に引き出しを造ったり、茶箪笥のような大きいものなどを造る人 […]

気仙大工

この辺の大工の建て方の特色について、自分でも情報収集してみたんです。いわゆる「気仙大工」って分野がありますよね。この辺りはその流れは確かにあるんですよ。「気仙大工」の繋がりのあるのは泊浜位まででしょうか。南三陸町の独特の […]

お礼奉公

この辺のしきたりで普通は1年間の「お礼奉公」っていうのがあるのですが、登米は隣町ですから、志津川の実家でも早く帰ってきて仕事を手伝ってほしいという希望もあり、「何かあったらすぐお手伝いに来ますから」ということで、お礼奉公 […]

大工見習い

大工の一家に生まれたので、親としては後を継いでほしいという気持ちはあったかもしれませんが、直接そういう教育はありませんでしたね。中学校を出て、建築関係の専門学校に行ったんです。古川の高等技術専門学校建築科というところです […]

青年団

青年団っていうのは本吉地区や気仙沼地区の青年が集まって町単位で作るんです。男女問わず、18~34歳までの男女で、本吉町の連絡協議会の管轄区域に住所があれば誰でも入れました。地区の上に宮城県青年団連絡協議会、さらにその上に […]

ヤマ学校

ガキの頃から「ヤマ学校」って、学校に行かないで山に行ってサボっていました。陰でタバコ吸ったりの悪さをするんじゃなく、本当に山に入り込んで過ごすんです。おおらかな時代でした。我々よりもっと前の年代だと、サボって山や海に行っ […]

おだずもっこ

やかましい子供だったと思いますよ。「おしゃべり」っていうより、よくいるでしょ。集会なんかの時ひとりでワーワー騒いでいる子。そのタイプ。中学校頃まで、いらないことヘラヘラヘラヘラ、こちらでは「おだずもっこ」っていうんだけれ […]

小泉八幡様のお神輿

この辺のお祭りは、小泉八幡様のお神輿ですね。9月10、11日にやったんですよね。その神社には、たまたま津波が乗らなかったので、30年ぶりにお神輿を担いだんです。担ぎ手がいないので、最近は人が担ぐんじゃなくて、トラックに乗 […]

大工

私は昭和35(1960)年12月25日、志津川で生まれました。日本の高度経済成長期といえば、そういう時代ですか。 親父が大工で、私も大工。普通の大工です。うちの家は分家して独立した新しい家なんですが、本家のお爺さんはすで […]

アワビの獲れたては柔らかい

津波で、アワビの稚貝が激減したので、もう一度稚貝から育つまでは、3~4年かかると思うんです。アワビは9センチより小さいものは規格外で獲ってはダメなんです。獲ると密漁ですよ。だから、獲るときに大きさを計るんです。小さいと海 […]

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