東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト

山の幸

毎年冬になると、野ウサギ、ここでは山ウサギというんだけれど、それを罠を仕掛けてとって食べたりしました。 罠は針金の細いものを輪っかにするんですね。それをウサギの通り道に置き、ウサギがそこを通ると首がひっかかりギューとなっ […]

料理

子どものころ食べた、お母さんの料理はなんでも美味しかったですね。一番好きなのは煮ものです。 小さい頃の食べ物って、大してどこでも変わらない、同じようなものじゃないでしょうか。豊かな生活ではないものね。魚なんかは海が近いか […]

学徒動員

昭和19年のことです。学徒動員で、みんな日立製作所に行って、軍需物資を作っていたんですが、そこが米軍の艦砲射撃(かんぽうしゃげき)にあって、工場が壊滅したので、そこにいられなくなったんです。 そのあと、昭和20年4月に現 […]

遠洋漁業

養父は遠洋漁業の船乗りでした。ずっとね、マグロ船に乗って、北洋とかに行ってましたね。若い時は、カレイやカニも獲ってたみたいですけど、私が覚えてるのはマグロですね。一度船ででると、3カ月から半年ぐらい帰ってこないんです。た […]

中学校

本吉にはこの頃、中学校なんてなく、佐沼と気仙沼に一つずつしかありませんでした。下宿です、遠くて通えないの。高等女学校ってのはね、この界隈では登米高女っていうのが一つしかなく、あと矢吹の高田っていうところにもうひとつあるだ […]

開口日は漁業も

海の仕事は農作業の合間にするんです。8月今頃はちょうど、ワカメの開口も終わるころ。5月6月から8月にかけては天然ワカメの開口、ウニの開口で忙しくなってくるんですよ。 開口は、漁業組合が決めるんですよ。採るものの育ち方もみ […]

津波をかぶった杉

津波を被ってしまった木を切り出しているのは、建築には使えないです。私たちもそれらをどう処理するのか聞いてません。製材所に聞いた話では、まず塩分で鋸がだめになる、切れなくなるんだそうです。錆びるより切れなくなる。 塩水を吸 […]

3.11被災

津波のときは、自宅から車で5分くらいの場所で仕事をしていました。大工道具のほとんどは家にありましたが、持って逃げることができませんでした。 地震があってすぐに自宅に戻り、津波まで1時間くらいありましたから、部落の役をして […]

私が育った家

私が育った家は農家なんですが、米や麦、豆、ソバなどを栽培していました。その当時は、広さとしては中の上くらい、田んぼと畑で一町二、三反ぐらいやってたと思いますね。海岸が近いもので、漁業権も持っていたので、農業のかたわら、海 […]

曲尺

ここに曲尺ってあるんです。その曲尺に8つ、字が書かれているんです。「財」から始まって「病」「離」「義」「官」「劫」「害」「吉」。私は私なりの使い方をしていたんですが、親父に「これ何だ」ってきいたんです。そしたら「これは方 […]

志津川の家(建築)

登米と比較すると、登米にいる時は瓦葺きの家は少なかったんです。トタン葺きとかセメント葺き、コロニアルなどのスレート葺などの屋根でした。でも、ここはやはり海が近いから瓦ですね。昔そんなに良いトタンが無かったのか、すぐ錆びる […]

子どもの遊び

兄弟ではよく外で遊んだりしましたね。おままごととかしましたねぇ。昔の遊びですからね。このへんは夏になれば沢で泳いだり、魚を捕ったりしましたね。このあたりはウナギ多かったのよ。私のいとこが近所にいたんですけどね、小さい時ナ […]

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