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西條實さんとは、南三陸町の高台移転に伴う新井田館跡の発掘調査が縁で出会いました。1年を通した山の過酷な発掘作業をこなす現場の男子最高齢の西條さんは、皆さんから「語り部さん」と呼ばれる抜群の記憶力の持ち主で、南三陸の歴史・風土・伝承を語り続けておられます。
中でも「慶長地震津波伝承地」を伝えていることには驚きました。その水戸辺川上流を案内していただきましたが、山林を疾駆するような82歳とは思えぬ強靭な体力についていくことはできず、わが身を恥じた思い出が蘇ります。そして、その伝承の貴重さを実感し、東北大学災害科学国際研究所などに西條さんを紹介させていただきました。
西條さんは、東日本大震災津波により、お身内の方を4人亡くされて、さぞや、沈痛の日々だったと思います。そして昨年から思い出の故郷と人々を詠まれた短歌を次々と作られるようになりました。そこには、南三陸の神仏が息づく風土を大事にする氏の生き方をうかがうことができます。そこで、詠まれた地の現状の写真と重ねることにより、より、南三陸に住み、大津波の災禍を越えて生き抜いた氏の人生を表現できるのではないかと思い立ち、この短歌集を編みました。
西條さんに辛い思い出を含むゆかりの地を案内していただきながら、復興に励む人々と出会い、美しい海と山の間に生きる南三陸の人々のたくましい生きざまをも実感することができた得難い体験となりましたことを心から感謝いたします。
大震災発生から三年を目前の日に、西條さんの新たな旅立ちの平安を祈念して献呈いたしますとともに、皆様に「大震災を越えた」一つの生き様をお知らせいたします。
田中則和
まず、私が新井田館跡発掘作業でお会いした田中則和先生に御礼の言葉を申し上げたいと思います。
先生には、私の慶長三陸津波の話を聞いて「力になりたい」と言ってくださり、私と共に自宅のありました戸倉在郷地区の海岸より歩いて2時間45分かけて、水戸辺川上流の津波最終到達点まで歩いていただきました。
南三陸町入谷ご出身の大正大学の山内明美先生にも、発掘の作業現場まで私に会いに来られた上に、私の話を聞いていただきました。感謝申し上げます。
山内先生をタタカイ沢にご案内したとき、何の説明もしていないのに、「西條さん、この奥にかつてなにかありませんでしたか? 人が住んでいませんでしたか?」と訊かれた時は、確かに戦後の食糧不足の時代に入植者が一時居て全員が去った歴史があり、言い当てられてびっくりしてしまいました。今まで誰もそんな質問をする方はなかったので、さすがの洞察力だと感じ入りました。
2013年11月6日、東北大学災害科学研究所助教の佐藤翔輔先生、蝦名裕一先生、その他2名の先生方にも、私と一緒にタタカイ沢まで行っていただきました。
その際に、佐藤先生のお持ちになった機械により、現在の水戸辺仮設住宅より約60メートルの場所にある「長の森寺(慶長大津波時に寺から逃げず赤い法衣を纏って一心に経文を唱え、膝まで波が来ながらも助かった住職の言い伝えがある)」とタタカイ沢が同じ高さであるとの答えが出て驚き、やはりここまで津波が来る可能性はあるということを改めて知ることができました。
皆様には遠方より来ていただき、これほどまでに82歳の私に尽くされた御厚意に感謝を申し上げ、お礼の言葉と致します。
地域のキーワード:タタカイ沢, 新井田館跡発掘作業, 東北大学災害科学研究所, 水戸辺川上流津波最終到達点, 田中則和, 長の森寺
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