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3.11被災

3月11日は志津川の高野会館の3階で、老人クラブの演芸会があったんで、それを見に行ったんですよ。ちょうどもう終わる頃に地震が来たんで、会館の職員がね、「津波来るから、どこさも逃げてはダメ、出てはダメだ」っていうわけです。だけどね、やっぱり逃げた人もいるわけです。
残った30人は、3階にいたから4階、屋上に上がりました。上がった瞬間にそこまで波が来ました。そして、屋上のさらにその上に機械室があったので、細い階段を上って、そこにみんなで入って行ったんです。
狭いからね、座ることもできないで立ちどおしなの。機械室に水が来て、電気が切れてしまったから、冷たくてもう大変。ずぶぬれだからね。足踏みしたりして、それでも、自分の足に全然、感覚がなかったんですよね、もう、自分の足だか、何だか・・・。頭が痛くなってくる、体は・・もう、どうにもしようがなかったんです。
もう波は一度で終わりではないんですよ、行ったり来たり何回も来たんです。7回ぐらいは来た感じがしましたね。一晩中いて、朝になって、昼も過ぎて、食べ物もお水も何もないまま、そこで過ごしたんです。どこも逃げるところなんてないんです。瓦礫で一杯で、歩くところもなかったんです。

「煙草ふかして目を閉じりゃ」丸山敬一郎さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和5(1930)年生まれ

高台移転と今後

震災から1年が経って、大分落ち着いて来ましたが、今度は自分の年齢のことなどをいろいろと考えてしまいます。国の対応も遅れていますし、移転希望や個別相談会もこれからで、復興には今から何年かかるかわからないですね。
前に住んでいた志津川にはもう住めないんです。本当は前の所に戻りたい。志津川ってのは、都会とは全然違って、みんな付き合いがあるからです。町内みんな顔を知ってる者同士ですし、銀行にいた関係上、近隣を2年ぐらい歩いたから、どこに誰が住んで、どういう人かってことが全部わかっているんです。
次住む場所は大体決まりましたが、これから必要な面積の希望をとってから買うことになるので、土地を手に入れるのがいつになるかわからない。しかも造成したらすぐに住めるわけじゃない。冗談でお寺の高台を分譲してくんないかとか言ったりします。被災者ってのは多くが70歳以上の人間ですからね。

家は、入谷の駅前、戸倉と湾サイドと3か所に分かれて移転するんです。私たちが住んでいたのは市街地だから、志津川高校の裏側と志津川小学校の裏側、それと湾サイドと同じ地区の人を、次も同じ地区に入れたいということなんですね。
もとの家の敷地は屋敷だけで400坪近くあって貸家もあるから、全体で500坪くらいあるのです。坪8万円とみているんですが、そうすると4000万が入ることになる。
しかし買い取りの代金がすぐに貰えないんですよ。替地する人たちが先になっちゃうんです。町にもそういう駆け引きがあるんですよ。被災地を買い取りするにも移転する人たちが優先になる。戻らない人は後勘定です。4年か5年後です。そうすると、先立つものがないから、家が建てられないんですよ。食べて行くだけの賃金を払う職場もないので、みんな志津川の外に出てしまいます。男はパートの680円や750円を貰ってもどうにもならないんですよ。

仮設住宅は今は無料で住めますが、3年目以降は賃料を払わなきゃならない。今、登米の仮設に来ている人も、志津川の方の仮設に入りたいと言って問題になっています。仮設が空いてればいいけど、空いてなければ志津川に移り住むことになり、補助金が出なくなることになります。自分で家賃を払って住むことになるんです。
私たちの今住んでいる佐沼の家は、小さい家だから認められましたが、2階建ての大きい家を借りた人は、登米市がみなし仮設住宅・賃貸住宅と認めなかったんです。書類に正直に書いたほうが悪いんです。2階はない物件を借りたことにすれば良かったんです。だれもそんなこと教えないから。
登米市は地元での死者が少なかったから、なるだけ余分な金銭を出さないように出さないようにしているのでしょう。私たちのようなよそから来た人には義理や、人情とかはないんです。
5人だから仮設住宅を2つ借りたんですが、狭くてね、いるところがなかったんです。そこから佐沼のこの家に移ったあとにね、テレビなどを借りることにしたんです。ある人に、6人で住むのなら、みなし住宅が仮設住宅として認められるということだったので、役場に行ったんですが、首を縦に振らないんです。仕方なく、自分で調べて、書類を一晩で書いてぎりぎりに出しました。おかげさんでテレビが借りられました。

それから市の人も家に廻ってくるようになりました。私はその人たちにいつも言うんですが、「70代の人にね、土地計画法第何条とか難しい専門用語を言ってもだめ、専用用語は使わないで話せ」って。銀行にいた私には、ある程度はわかりますよ。法律用語など、専門用語があまりに多すぎます。訳のわからないことを言う。「あんたたち自分のおやじさんに話すように話せ」っていうの。私にだってわからない法律がいっぱいあるんですから。

死ぬまでには家を建てなきゃいけないと思っています。だから、早くお金を貰えればいい。政府や国で早く土地を買い上げてくれ、代金を先に頂戴と言いたい。今高台移転で土地交換して家を建てたって1年はかかるんです。それが今から買収でしょ? まだ山で造成もしていないし、1年で収まらないでしょう。これから商店街や工場を形成することになるのですが、問題はそこです。高台移転したとしてもそこに雇用の場がないのです。もしこれを進めるなら自動車工場を引っ張ってくるとかすれば高台移転もスムーズに行く。

実は、私たちには売掛金で貸してあるのが台帳がないために取り戻せないでいるんです。地代や家賃が入ってこないところもあるし、そういう被害が大きいんです。自販機だって5台くらい持っていましたが。たくさん入ってたんだよ。売上げが少ないから毎日開けなかったけど。小金溜めてね(笑)。
酒屋の免許はありますが、再開しようという気はありません。息子はもう商売では食べていけないと分かっています。酒屋というのは、飲食店あっての商売で、ビールとか樽とか重いものを売って成り立つんです。一般個人の売り上げだけではだめなんです。復興市は観光客が来るので飲食店とおみやげは売り上げがいいらしいですが。

今、一番困っているのはね、水産加工業の人たちです。どこも人手が足りないのですが、復興需要で、建設業に携わる人は高騰し、農家の人たちは1万3千円、下水や側溝掃除に1万円が支払われますが、それより時給が低いんです。今から家を建てていくんだから、この傾向は5年は続くでしょう。また高台の土地は高くなり始めています。今、1人暮らしが20%くらいいるのではないかと思います。それに対しまともに働ける人がいる家庭なんてのは5割ないでしょう。食べていける給料を支払う職場なんてないのです。

「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ

3.11被災

3月11日は、税金申告が終わって、片付けをして、我々夫婦と息子と3人で家にいました。地震が来たとき、廊下の壁と壁の間に腕を広げてつかまりました。古い家だから潰れるんじゃないかと思いましたが、補強したから地震では大丈夫でした。物も殆ど落ちなかったのですが、店の酒なんか落ちて割れてしまいました。家はやっぱり補強してあると違うなと思いましたね。
子どもたちは高台の学校に行っていたので、良かったんです。家のすぐ近くに海円寺というお寺があったので。軽乗用車に2人で、まずそこに逃げましたが、地震が収まってすぐに警報が出たので、すぐ上の保育所まで車で登りました。息子はそこから志津川小学校まで逃げたんです。

私は呑気屋だから、とにかく自分の愛車が津波を被っては惜しいと思って、「ここなら絶対大丈夫だな」って思える高台まで持って行って、自宅にトコトコ戻り、記念硬貨だの何だの、アルバム、カメラ、ビデオ、米まで全部2階に運んだんです(笑)。「まだ、津波来ねぇんだな。おかしいなぁ」とは思いましたが、最初、波の高さは6mという放送だったんです。情報は変わっていったけど、こちらは停電だし、携帯も電波が全く駄目で、情報が分かんなくなってしまったんです。それから、誰が叫んだか分からないけど、「来たっ!」というが聞こえました。「それじゃあ逃げましょう」って、トコトコすこし高い場所に登って津波を眺めたんです。

そうしたら、「おお水来たぞ!」と言う間に、道路沿いに水が来て、追われるようにだんだん高いところに逃げてったんです。そして、木の間から、自分のうちが波を被り、潰れ、そしてうちの近く全部が「ビリビリビリビリ」って音を立てて潰れていく様子が見えました。私も本当に、あと3分逃げるのが遅かったら終わりだったんだなあと思いました。
我々は街の中だから海岸の様子は全然分からなかった。家の中で津波が来るのを待ってた人も沢山いるわけです。うちの前には45号線が入っていますが、その奥の役場の方に行ったところの部落は、うちから500メートルぐらいの距離なのに、チリ地震の時、津波が来なかったので、そこの人たちは逃げないでいたんです。津波が来てから騒いでも、余程足の速い人でないと間に合わない。皆、流されていってしまったんです。

逃げる前は、折角集めた趣味のものなどが濡れると勿体無いと思ったから、みんな2階に上げたんです。最初っから津波が40分後に来ます、って言われればね、車にみな積んで逃げたのに、とは思いました。けれど、頭に北海道の奥尻の津波のことがあったんです。津波は震源が近ければ「5、6分で来る」っていうことが。だから「急げ」となったわけです。
その判断が大事。町側は津波が何分後にくるのか、全然発表しなかったんですよ。後から聞いた話だけど、浜の人たちはね、津波の前に水が引いたから、津波が来るまでに30分かかるなどと分かったそうです。娘に聞くと、東京では津波到達時間の発表があったそうです。ラジオなんか持って逃げている人はそんなにいませんでした。逃げる時は必死で、家に2台も3台もあるラジオを持ってく余裕がないんです。その余裕というのはどっから来るかというと、情報なんですよね。
あの日の情報は、「逃げろ、逃げろ」の一点張りでした。もし「到達は何分後」とか、「何を持って逃げろ」とか言われれば持って行ったと思います。地震が終わったか終わらないかの内に慌てて逃げたから、丸裸ですよ。文字通り裸一貫。80年働いて何もなくなってしまったんですから(笑)

最終的には志津川小学校の避難所に皆集まりました。裏が山になっているから山越えをして小学校に集合したんです。そこから、水もなければ食料もない。薬も持ってこなかったので、飲めませんでした。5日間くらい薬がなかったんです。1週間くらい経った頃、眼下のお医者さんに頼んでなんとか薬を出してもらいました。金を払うといったんだけど、「お見舞いだからいらない」って受け取ってもらえませんでした。

1日目はあきらめというか開き直ったって気持ちでしたね。誰も泣かないし、みんな笑ってましたよ。
犬はいましたね。猫はいませんでしたが。
あきらめムードではありましたが、ただあんまり心配はしていませんでした。小学校の校舎にはタンクがあって、水だけはあったから、大事にして飲みました。ただ、寒くて寝られないんです。食料は当日は何もありませんでした。ビスケットをポケットに1つや2つ持っていたような人もいたけど、殆どの人は何もなしです。次の日の11時頃、やっとおにぎりが届きました。
たばこは吸えなかったのですが、2日くらいは吸えなくても大丈夫ということを経験しましたね。みんなで体育館にいたので、余震がずっとあったけど、みんなでいたら怖くないという気持ちでした。でも、全然眠れませんでした。ただ横になるだけです。

「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ

志津川実科高等女学校

昔は、小学校を6年卒業すると、尋常高等1年、2年とあって、それから女学校です。今の高校です。部落から、同じ学年に約20人にいて6人かな? 進学しました。学校までは、歩いていきます。片道2時間、往復4時間です。今の志津川小学校前までです。

志津川女学校
町立志津川実科高等女学校として志津川小学校内に開校。初代校長は千葉昌治。大正13年。

(中略)女学校では、お裁縫とか料理とか家庭科で、縫って染める絞り染めも習いました。編み物も基礎から編み方の種類も、1つ編み、2つ編み、かぎ針もね。洋裁も習いました。自分で裁って、子どもの服もセーターも作りました。染物は、染め粉を買ってきて、白い反物を、絹物でも、模様をつけるのにギューッと絞って、手で縫ってキューっと糸を巻いて、花模様や葉っぱとか、そういうこともやりました。着物の布を裂いて、ずーっと長く裂いて編み物もしました。今みたいな毛糸がなかったからね。かぎ針も棒針編みもやりました。
私たちは、1枚のお母さんの着物をもったいないって、ちゃんと型をとって、羽織1枚から洋服1枚。自分でちゃんとやって学校へ着て歩きました。

「細浦の海と山と」阿部琴女さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]大正15(1926)年生まれ

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