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薪拾い

昔は石油なんか無かったでしょ。あっちの町場の人なんかは、ご飯炊くんだって、燃料にするのに毎日薪拾いに来たんですよ。だから、みんなが山にはいるから、山は昔わりと綺麗だったの。この辺では広葉樹で冬場の仕事の木炭を作ったというのがあったんですが、杉は1回植えてしまうと、炭を作るには向いてないので、でっかくなるまでその山には入らないんです。たまに間伐で入るくらいなもんでね。みんな山に行かないから山は荒れ放題なんです。

源敏一の「真っ向勝負!」源敏一さん[登米]昭和30(1955)年生まれ

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山の幸

毎年冬になると、野ウサギ、ここでは山ウサギというんだけれど、それを罠を仕掛けてとって食べたりしました。
罠は針金の細いものを輪っかにするんですね。それをウサギの通り道に置き、ウサギがそこを通ると首がひっかかりギューとなってとれる。前の日に仕掛けて、次の日に見に行く。それは良くとれましたよ。ウサギは自分でも皮を剥いで、肉の状態に捌いて、家の人に渡して料理に使ってもらいました。料理はやっぱり鍋料理で、トン汁のような感じのウサギ汁。ウサギはちょっと独特の臭みがありますね。毛色は灰色っぽい色で冬になると雪にウサギの足跡があるんですよ。前が2個で後ろが点々となっていて、ウサギの通り道が分かるので、そこに罠を仕掛けて。とれる、とれないの波もあって、毎回捕れるんじゃないんだけれど、ウサギは食糧でした。

うちの親父もそうだったけれど、狩猟免許を持っている人が結構いたので、キジとかヤマドリとかウサギも含めて捕ってきましたね。キジは今でも見られますよ。ほら、これだよ、これがヤマドリ(居間に、はく製にして2羽飾ってあった)。ヤマドリの雄ですよ。雌はしっぽが短くて鶏のチャボみたいなんです。このはく製は、町の人に頼んで作ってもらったもんです。
家では子供の頃から冬になると高級料理のキジ鍋を毎日食べてましたよ。キジの雌は(子孫を増やすから)捕ってはだめなんです。雄はいいですけど。狩猟シーズンは11月から2月頃まででした。

木の実の季節の秋になると、子供たちも多かった当時は、学校から帰るとみんなで山に行って、栗を拾ってきたり、柿を取ったり、あけびを採ったりしました。暗くなるまでおやつ代わりにして食べながら遊びました。柿は渋柿と甘柿があって、渋柿は取っても仕方ないが甘柿はねらい目をつけて、家の人がいない民家の柿の木に登って捕りました。柿の木って折れやすいんですよ。だから登るのには結構注意して登りました。きのこは子供でも知ってるきのこを採りました。年中、山に入っていましたね。山菜も採りました。

源敏一の「真っ向勝負!」源敏一さん[登米]昭和30(1955)年生まれ

東北最大のフリーマーケット

毎日、山行っては杉の木を切って、皮を剥いで、犬小屋や、椅子、テーブルまで作ったんです。全くの素人だから楽しんで作ってました。
そういう作品を売るのに、2人とも好きなのがフリーマーケットなのね。人との掛け合いなんかが面白いんです。
フリーマーケットは本吉近辺には無いの。登米のほうに大きいのがあるの。夏と秋、8月と10月にあって、東北一の規模で、すごい大きいんですよ。お店が1,000ぐらい出るんです。
8月は暑くてあまり売れなくてだめだけど、10月は結構売れるんです。登米の町ぐるみでやっているから、いろんな世代の人が出店していて、老若男女、大人も子どももやってくる。いろんなイベントもやっているし。
そこに店を出すと、多いときで3万ぐらい稼ぐときもありました。8月なんかは、1万円で終わっちゃうときもあるんだけどね。そこに出品するのに3,000円くらいかかるのね。だからそれを回収しなきゃ、とは思うんだけど、お金のことよりも人間と人間の掛け合い、「もうちょっとまけてよ」「じゃあ、よっしゃ」、そういう掛け合いがすごく楽しくてね。普段、そういうことは身の回りにないからね。じいちゃん、ばあちゃんばっかりで、張り合いがないからね。だから、そういう楽しい時間で刺激をもらってる。

「風人の庵へ、ようこそ。」須藤寿郎さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町小泉]昭和19(1944)年生まれ

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釣り

小学校時代は、毎日のようにそこの川に入って泳いだり、安いモリを持って歩いて、石の下に手を突っ込んで魚を捕ったりしてました。年中、川で遊んだ思いがありますね。馬の足公園の上流がここです。

魚とりをしたり、夏になりゃ水泳、川遊びをしたり。
ここには、ウグイとか天然のウナギがいました。ウナギは特別な漁法で、釣り針にドジョウをつけ夜に穴に仕掛けて、次の朝にひっかかっているかどうか見に行くんです。餌は太いミミズも使いました。

ふつうの魚はね、箱メガネって言うのかな、われわれは水眼(すいがん)と言うんだけれど、片手に箱の下に硝子を貼ったのぞきメガネ、片手にヤスを持って、反対側の腰には魚籠(びく)を、ここではフゴと言うんだけれど、竹で編んだものを付けて、川を巡りながらヤスでつくんです。

ハヤ、ウグイが獲れたけど、その他に、カジカもとれたんです。カジカはハゼのような魚で、京都ではゴリというのかな。春先にはカジカの卵を石の下に産卵するんです。オスが1匹そこに番をしているんですけど、そこにメスが来て石の下に卵を産卵するんです。これくらいの塊で、大きさは仁丹くらいで、山吹色の卵なんです。それは貴重で、みんなで時期になると争ってとりに行ったんです。今でもあるんですが、カジカも絶対数がかなり減ってきてるんで、昔のようにはとれなくなったなあ。卵はとってくると味噌汁なんかにしてね。
ひざ下位の水の浅い所にいて、あまり深いところにはないんですよ。子供同士の争いはないけど、見つけていたのを横から捕られちゃったみたいなのはあったね、「今日あたり行ってみるか」と行くと、「あー! とっくに捕られた」ということもあります。石がひっくり返っているから分かるのね。
雨が降って川が濁れば釣りですよ。竿は売っているものではなく、その辺の竹藪の釣竿にむいている笹竹に糸をつけてね。釣った魚は家に持ち帰り食べる。さばくような大きな魚ではないから、から揚げなんかにしましたね。その頃は今のように車もなく買い出しにも行けなかったので、魚は貴重なタンパク源だったのです。しょっちゅう、誰かが川に入っていました。

源敏一の「真っ向勝負!」源敏一さん[登米]昭和30(1955)年生まれ

農林業

実家は農林業でした。炭を作るんです。山の木を切り出して、窯に木を仕込んで焼いて、できた炭をちゃんと梱包して製品にして、ここらへんに出荷してました。当時はいっぱい炭が売れたから、それが我が家の収入源でした。
夏になれば、刈り払い、下刈りと言って、植林後の山に雑草が伸びてくるから、それを刈る手入れが必要だった。冬は冬で炭焼きの仕事があり、年中働いてましたね。

源敏一の「真っ向勝負!」源敏一さん[登米]昭和30(1955)年生まれ

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合祀餅

合祀餅(ごうしもち)拾いってね、上棟式をやるのにね、いわゆる柱をたてて屋根を張るでしょ? あの棟っていうの三角の。それをセットするときに、式典をやるわけ。屋根の上から、縁起づけに餅を撒くんだ。それを合祀餅っていう。撒かれた餅は、食べる食べる。いまはビニールで巻いて包んであるのを投げるから、みんなで分けて食べるんです。この合祀餅拾いっていうのは、宮城県ではだいたいの場所でやるんだよ。普通の一般家庭はまぁ上棟式なんて言わないで、タテマイって言いますけどね。

源敏一の「真っ向勝負!」源敏一さん[登米]昭和30(1955)年生まれ

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RQ市民災害救援センターとのかかわり

震災直後、私は、(避難所になっていた)鱒淵小学校の夜のミーティングに毎日出ていました。向こうから「来て下さい」と言われたわけではありませんでしたが、地域の情報をどうしても交換したくて、毎日7時からの夜ミーティングに行ってお邪魔していました。そこにRQも出席していました。
RQに対しては、ここを拠点としていくならば、救援側対被災者・対避難者の関係だけに目が向いて、拠点とする地域の人たちとの関わりを大事にしないというのは間違いだと思っていました。事実、最初は地域の中には「RQって何だ? 早く出ていって欲しい」と思っている人もいたのです。だからこそ、私はRQの様子や避難民の様子が知りたくて、ミーティングに参加し、その様子を正しい情報として地域に伝えたかったのです。
震災後、4月3日に鱒淵に被災者が避難して来ました。鱒淵の住民は、「私たちは何をしてあげればいいのか」と浮足立ちました。この地域は行政頼みで、「言われれば動く」という慣習がありました。なので、被災者が避難して来た時も、私を含む近隣の4人の区長で話し合いをした時には、区長同志でも支援に対する姿勢に温度差がありました。私は「他の行政区に働きかけてみんなで協力して支援しよう」と言ったのですが、他の区長の中には「私は行政に従う。任せましょう。」という方や、「役場からお願いされたことをやればいいのでは」と言われる方もいました。そこで、私は自分でできる範囲でできることをやろうと決めました。先ほどお話した鱒淵小の夜7時のミーティングにも、そういった思いから通ったのです。
たとえば、私は「被災された方々が、ずっと何もしないで手持無沙汰でいるのはもったいないし、もともと農家の人たちが多いから、この鱒淵で共同でできる作業をしたほうがいいのでは」と思って、一緒に農作業をする提案をしました。トラクターで畑を耕す、肥料や種、ネギなどの苗木を一部もらったり、買ったりして、被災者のかたに農作業をしていただきました。
我が家では、長屋を片付けてミーティングルームを作り、そこには、私のささやかな小遣いで買い求めたジュースやビール焼酎、などを置いて「ご自由にいらして、お飲み下さい」としました。鱒淵小学校からミーティングルームまでは、いい散歩コースになっていて、ミーティングルームで一休みして帰っていただくのです。その中には避難民の方々の姿もありました。こんなふうに、今までやったことは私のできる範囲でやったことです。
RQとは時間が経つにつれ、「もらい湯」などのRQに対する支援活動が始まって、関わりが徐々に増えていきました。

「吾道一以貫之〜道拓く〜」小野寺寛一さん[登米]昭和17(1942)年生まれ

華足寺馬頭観音堂

延暦21年(802)坂上田村麻呂が東征の際、戦没者の霊を慰める為、死んだ愛馬をこの地に葬るため堂を建てて本尊に馬頭明王を安置したのが始まりといわれています。開山は坂上田村麻呂の霊を弔う為大同2年(807)建立されたとあります。ご本尊が鱒渕馬頭観音大菩薩という動物憐憫の観音さまということで全国の馬、牛などを扱う人びとから信仰されています。本堂庫裡には古い絵馬や奉納された競馬や共進会での牛馬の写真などが数多くかけられています。

「吾道一以貫之〜道拓く〜」小野寺寛一さん[登米]昭和17(1942)年生まれ

華足寺

鱒渕には、華足寺(けそくじ)があって、そこには馬の神様が祭られています。
昔はここは蝦夷地で(武士の勢力)争いが絶えない場所でした。この地に伝わる伝説があります。坂上田村麻呂が乗ってきたのが郷黒(きょうごく)という名馬で、新幹線なみに速いと言われていました。この地で馬が死に、村人たちが丁寧に葬ったのですが、夜になると異様な光が村人たちを照らしました。穴を掘ると、馬の亡骸は一寸八分の馬頭観音に化身していたのです。それが馬頭観音様、という言い伝えです。
ほかにも、地名にまつわる伝説は多く、1200年前の絵日記があって、坂上田村麻呂将軍がこの地を制定するときに悪童がいてその場所が悪童ヶ原という場所になりました。坂上田村麻呂一族が敵を追って、次々と3本の矢を放った場所が「一の矢」、「二の矢」、「三の矢」などという地名に残っていたり、悪童が這い上がる坂を「這坂」、郷黒が岩にひずめの足跡を残した岩があり、その地域を「馬の足」と呼んだりするのです。

「吾道一以貫之〜道拓く〜」小野寺寛一さん[登米]昭和17(1942)年生まれ

生態系

昭和30年代からホタルをとりまく環境は急激に変化しましたが、その間に山は広葉樹林から針葉樹林に変わってしまい、この辺りの生態系も変化してしまいました。

昔はこの辺の森林は広葉樹で、ナラ・クヌギなどの林があって、薪や炭として使うために、2~30年の間隔でのこぎりで伐採していました。のこぎりでの手作業ですから、時間もそれなりにかかり、それは森林の再生のスピードと合っていて循環型社会を形成していました。ところが、チェーンソーの導入によって、短時間に一山すべてを伐採してしまい、山が裸になるということも起き、さらには昭和30年代の経済成長によって、住宅用の杉・松が将来的に貴重な財源になるという見込みで、その植林が始まりました。国策で東和地区80%増を目指して杉・松の造林が行われたのです。
結果的に70%以上増の植林が達成されました。そのために生態系が変化して、生物全体が変わってしまいました。山に入って手入れをする人が減ると動物が増えます。広葉樹の実などを食物とする野山の生物(タヌキ・キツネ・シカ)は、山にあるべき餌がなくなってしまい、秋口に民家に降りてきて、トウモロコシや枝豆を食べてしまったり、放し飼いしているニワトリや卵を食べてしまったりします。実は、私の家でも秋になったころ、白昼堂々とキツネにニワトリを襲われたのです。

「吾道一以貫之〜道拓く〜」小野寺寛一さん[登米]昭和17(1942)年生まれ

鱒淵源氏ホタル保存会

東和町のゲンジボタルの保護は、昭和46年鱒淵地区の青年たちが、ホタルの大発生を契機に、人もホタルも住み良い地域を作ろうと「ふるさと会」を結成し活動に取り組んだことに始まり、この取組が多くのマスコミ等から注目されたことにより、地域全体でホタルを保護しようとする意識の高まりとともに「鱒淵源氏ホタル保存会」を設立した。また、同地区の小学校の児童が「ほたる少年団」を結成するなど保護活動が盛んに行われている。同保存会による保護活動は、地域住民が一体となりホタル発生数や発生状況調査、発生時期の保護パトロール、及び生育ステージに合わせた除草作業等の環境整備などを行っている。また、「ほたる少年団」はホタル生育の研究、ふ化、放流を行っている。なお、全国的に有数のホタル発生町が一堂に会し実施している「ホタルサミット」にも毎年参加している。

「吾道一以貫之〜道拓く〜」小野寺寛一さん[登米]昭和17(1942)年生まれ

役場勤め

その頃、公務員の給与は安くて人気がなく、役場には誰も入らない状況でした。しかし、昭和40年代から高度成長期を背景に、公務員の給料がどんどん上がっていくようになりました。
役場に勤務してまず担当したのが、教育委員会での社会教育の仕事でした。青少年の育成、成人教育、公務員活動、海外交流などを行うのです。青少年の育成というのは子供会や、ジュニアリーダー(中学生・高校生)の育成のことです。町で最初のジュニアリーダーサークルを作り、指導していました。

これはボランティア団体が主催する子供キャンプなどでも言えることですが、青少年、小学生の育成をするためには、世代のギャップがある大人たちがやるよりも、ジュニアリーダーがやったほうがいいと思いますね。子供には子供たちの世界があるので、(大人は一歩引いたところにいて)子供は子供を中心にしたほうが効果があると思います。活動や指導をする世代間は近いほうがいいのではないでしょうか。

「吾道一以貫之〜道拓く〜」小野寺寛一さん[登米]昭和17(1942)年生まれ

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