地震の時は、私は家にいました。ワカメの季節だったので作業をしていたんですが、年寄りだからということで若い人たちが「休みな!」と言ってくれたので、家でテレビを観ていたんです。海は私たちの家から100メートル位のところです。地震が起きて、女房が・・・と思っても、立っていられないんだから。そのうちに、放送なんかでも6メートルの津波が来るという予報だったから、それじゃあとにかく避難するのが第一と、うちは4人家族だからね、まず貴重品を持って、車で避難所へ行きました。ウチのほうでは避難所というのがあるんです(細浦生活センター志津川字細浦23-11該当地域:細浦、西田)。部落の集会所に使っていたところです。
で、避難してみたら、第一波が来たら、この避難所も危ないよというので、また高台へ避難したわけです。だから、助かった。避難所は流されました。避難所は海が見えないところだったから、波が正面から来るところは見ていません。2回目あたりが一番大きかったのかな。水かさが上がるのはわかりました。私の家は、後から避難した高台からは見えるところだったので、流されたことはわかりました。片付けるもなにも、何もないんです。すっかり流されてしまいました。うちの方の部落は、ちょうど半分流れました。スパっと切ったように80戸ばかりある部落で37戸が流れました。
「細浦の海と山と」田辺喜一郎さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川細浦]大正11(1922)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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