結婚式はね、2回やりました。私の時代までは自分の実家と、嫁ぎ先と、別々にやるの。今はみんな実家も嫁ぎ先も一緒にしますけどね。
自分が1回実家でこじんまり結婚式を挙げます。嫁ぎ先でも、ふた座敷、宴会をします。お嫁さんが来る前に近所の人を招いて1回宴会です。その後、嫁ぎ先から嫁の実家に迎えが来ます。車でした。お婿さんと一緒に座って、そして、「はい、家の娘を嫁にあげます」ということで、もらわれていきます。
その頃は気仙沼から歌津まで、道路が舗装されてないから、ガタガタガタガタ揺られて、1時間半かけて、乗せられて来ました。そのまま嫁ぎ先で今度は結婚式を親類、ほんとに近い人だけで3日くらい盛大にやるんです。朝から晩までです。嫁に来るほうはそんなにお金はかかんないんだけど、もらうほうではすごくかかったんですよね。
結婚式の食べ物けっこういいものでしたよ。歌津のだんなの家では、100何キロのマグロ1本買って準備してました。本人だけは食べられないんだけどね(笑)。3月だからまだかなり寒くって、周りに大ぜい知らないひとが沢山いるし、お小水に立ちたくなったら困るからって、あまり食べないようにしてました。大変なんですよ。
女の子って損だよね。全然勝手の分からないとこにお嫁に来るし、相手の家族になんてその日まで会ったこともないんです。あんまり構ってはもらえませんでしたね。私なりに世の中歩いてきたから、いろんな人を見てますからね。こう最初は、人をよく見て、喋らないようにして、(相手の人となりが)分かるようになってから喋るようにしてました。全然、ひとつも、本当に分かんないから、よく観察はしましたね。だから、最初バカになってね、バカって言われてもいいと思ってました。
「はまなす咲く浜をもう一度。」及川育子さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津]昭和23(1948)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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