戦争中は、男手が(出征で)無くなってしまい、田んぼは働き手がないから、学生さんが来てやってくれていたんです。今みたいに農機具がないから、田んぼを軟らかくするために、足で踏んだんです。牛や馬が入れる田んぼはそうやってしたんだけど、このころの田んぼはみんな膝の上までの深さがあるほど深かったんですよ。
「わたしの志津川」高橋登美子さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川中瀬町]昭和13(1938)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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