農業は、田んぼといっても、この辺はご覧のように傾斜地の山間地だから、「棚田」なんてあるけれど、ああいう大規模な棚田なんていうのは、ここでは無理です。田んぼをやるには、水がいるでしょう? だから、沢ざわ、水のあるところに田んぼを作った。水田を作れそうなところを耕したというわけです。この辺は、小規模なんです。自分で食べるくらいしかできないんです。耕地が少ないです。これは一般論ではなく、私の家の話ですよ。
この辺は本当に零細農家だから、100アールなんて耕地は稀です。今考えたら、よく生きていたというようなもんです。収穫量が少ないんだもの。田んぼは、水を引くでしょう? 沢にしか水がないんだから。灌漑用水なんて、昔は機械で水を汲み上げることができなかったから、水のある周りだけで田んぼをやっていたんです。米を売るぐらい採れる人は何人もいなかったんです。食って終わりです。畑には麦を作りました。米が少ないから麦も食べるんだ。麦ごはんにして食べたから、糖尿病の人が少なかったんです。今は糖尿病の人が多いよね(笑)。
ところが、今は米も安くなり、そうして肥料なんか、色々なものが高くなったから採算が合わなくなって、みな放棄してしまいましたね。今はね、田んぼも畑もほとんどね、耕作しない人が多いです。ウチももうやっていません。沢だから、山が伸びてくると日陰になってしまうから、木が伸びると何もできない。そういう条件の土地ですから。農業は10年くらい前まではやっていました。
「細浦の海と山と」田辺喜一郎さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川細浦]大正11(1922)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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