親父が早く亡くなったから、私は遠洋漁業やめて帰って来て、漁は沿岸だけにして、その合間に、最初は海苔をやったのね。ここほら、波穏やかだから、この辺一帯、全部海苔網だったの。竹を立てて、海苔網張って。
海苔を始めるのに、最初は天然の海苔のタネつけといえば、垂下式だったのね。元の歌津町でも浜の漁協とこっちの漁協と2つに分かれてんだ、漁協が。で、こっちの漁協だけで、研究会っつうのをつくって、指導員さんには県の漁協の方が来て、あとはこの辺の水平の高さと干潮時の高さ、いろんなの測って、このへんさ網をはれば、この水位さえあれば、ここの部落では海苔が付着しますつう格好で。
一番最初は海苔の胞子をとって、貝殻につけて、それを生育させて、温度と日光の具合をみながら熟成させてる。それから張った網さつけるんだけども、その時期になったらば、海苔のタネ付いてる貝殻は、最初真っ黒くなってるんだけど、紫色になるんですよ。それが、胞子を出せるようになってる海苔の色。3日目ぐらいなると、波で揺られるうちに、その胞子が消えてもとの貝殻のように白くなるんです。顕微鏡で見ると、胞子がみんな、その海苔網さ付着してる。
海苔もしばらく良かったんだけども、だんだんね、松島の方におされて、ダメになってきて、それに代わってワカメに切り替わりました。
「波静か ~われは海の子~」畠山吉雄さん[宮城県南三陸町歌津寄木]昭和2(1927)年生まれ
投稿日:2012.01.07
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