親父には弟子がいましたんで、一人前になった大工2人くらいに来て貰って家を一緒に建てるんですね。志津川には、「指物大工」と言って細かい仕事をする大工がいて、押入れ下に引き出しを造ったり、茶箪笥のような大きいものなどを造る人がいました。また、こっちでは、昔ながらの「隅々まで、木で全部収める」っていう仕事の仕方をしていました。
「『大工』として生きる」芳賀義人さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川中瀬町]昭和35(1960)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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