土葬が行われていた頃は、会員が亡くなると会員たちで埋葬のための穴を掘ったものです。そうすると、ご遺族が「これで飲んでください」と1万円ぐらいくださるわけです。そのお金を使って、弔いの酒席をつくる。そうやって交流の場を増やしていました。近くの食堂あたりで飲みながらね。今はそういうこともしなくなりましたが、契約会館で卒塔婆(そとば)をあげたりしてね。火葬となった現在でも、納骨堂の掃除などは会員が行っています。
契約会以外の地域との絆も強いですよ。誰かが亡くなれば、必ずお悔やみにも行きます。昔は必ず亡くなった方の家に行って、3千円とか5千円とか包んでお線香を上げてきたものです。そして、香典のお返しは近いところは直接、持っていきました。でも、最近はお悔やみに行くと受付でお返しをくれるから、便利になりました。その場で全部、済んでしまうんですね。
「結う人」牧野駿さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和13(1938)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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