結婚して志津川に行ったのは、私が27歳、これ(恵子さん)が23歳のときだったと思います。銀行に入ってから結婚しました。ちょうど伯母の家に子どもがなかったから、これが先に養女に入っていて、私が養子に入ったんです。
翌昭和35(1958)年、チリ地震津波がありました。義母を背負って、水のある所を走って逃げましたが材木がドンドン流されてくるんです。津波ってのは、川沿いが一番水の流れが早い。さらに水は川から溢れて道路に流れるんです。だから、津波の押し寄せる背後からでなく、川から溢れたその水で前から攻められてしまったんです。逃げ道遮断されたような格好のところを、津波の勢いが弱かったこともあって走って逃げきれたんです。
たんすも衣類も水浸しになってしまいました。その時は、荷物を2階に持って上がってたら、汚れずに済んだろうにって思いましたね。
しかし今度は、そのチリ津波の記憶が悪くはたらいて、逃げない人が一杯出たんです。「どうせ2階にいれば良いんでねえか」とか思ったんですね。
「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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